卒業生と5年生が残してくれたもの・・・そして、突然の終業式 ―炭焼き(2月18日(火))、看板立て(2月28日(金)、終業式(3月2日(月))―

<炭焼き(2月18日(火)~28日(金))>

5、6年生は、2学期の終わりから、山の木の切り出しや薪割り等、本年度の炭焼きの準備にとりかかってきました。いよいよ、準備が完了して炭焼きに取りかかることにしました。

(炭焼き窯を作った経緯については、2019年2月のページをご覧ください)

子どもたちが炭焼き窯に木を入れ込み、周りから空気が抜けないように、しめった赤土を周りにかためて塗っていきました。お近くに住む、炭焼き経験のある地域の方にご指導いただきながらの作業をしました。昨年も取り組んだのですが、できた炭の量が非常に少なかったり、途中で燃えてしまったりして、あまり採れていなかったのです。何とか、昨年より多く採って、五平餅づくりの炭など、自分たちの活動に使いたいと願っていました。

<ご指導いただきながら準備>

<周りに赤土を塗る>

<いよいよ点火>

子どもたちも昨年の経験があって、どんどん作業をしていきました。しかし、難しいのはここからでした。200度の温度計を使って温度を測り、煙の色やにおい(タールになる)炭焼き窯の煙はまだモクモクと出ていました。子どもたちは、「煙をさわっても熱くない。こりゃ時間かかるな」と言っていました。指導をして下さった地域の方が「こりゃ煙が変わって出なくなるのが朝方になるな」とお話しされ、子どもたちと保護者が夜分担して見に来ることにしました。職員も同じように分担して見に来ることにしました。

<まだタールはつきません>

早朝学校に行ってみると、すでに煙は出ておらず、燃える口も土でふたをされた状態でした。夜9:00頃見に来ていただいたおうちの方が、煙の変化に気付き、ふたをされたとのことでした。朝方かもと言われていたので、その早さにびっくり。あとは、蒸し焼きにしながら冷まします。見えないので、どうなるか、どきどきしながら、待つことになりました。

<窯の入り口をふさぐとこうなります>

窯の火を止めてからおよそ9日間が過ぎました。「炭の量はあるのかな。」と、子どもたちの期待が膨らみました。ふたを取り、のぞき込んだ中は・・・、もう上の方から炭になっているではありませんか。子どもたちは感覚として分かっていて、「あ、去年より炭がある」と一言目。昨年度より成功したという実感がありました。

<上から炭だ>

<去年よりもある!>

<こんなにたくさんありました!>

子どもたちも「どれくらいの木でどのくらいの炭ができるんだろう」と数値で考えると成否が分かることに気づいてきました。来年度の課題になりそうです。「これで五平餅が作れる」と喜んでいたのですが・・・。

 

<看板立て(2月28日(金)>

6年生が総合的な時間で、「和合に来た人が迷わないように」「もっと和合に人が来てもらうために」と考えた学校までの距離を書いた看板を、考えていた場所に立てに行ってきました。

「ずっと見てもらえるものにしたい」とかなり本格的に取り組んだものです。子どもたちの願いが届くといいなと思います。

 

<終業式(3月2日(月))>

それは、突然でした。政府の要請を受け、みんなで協議し、新型コロナウィルスの感染から子どもたちを守るために、この日の午前中で授業を終了することになったのです。あと卒業までの10日間。子どもたちにとって大切な時間でしたが、何よりも子どもたちを守りたいと考え、臨時休校を行うこと、出席者を限定して卒業式を行うことにしました。この話を子どもたちにした時に、涙を浮かべていたのが、心に響きました。

しかし、子どもたちは前向きに捉えてくれて、終業式を迎えました。

<全員がマスクをつけての式でした>

<校歌もマスクをつけて>

いつもの一人ひとりの振り返りは、心の中でしてもらいました。校長より、一人ひとりの子どもたちへのメッセージと東日本大震災直後の福島県の中学校の卒業式で読まれた答辞を引用した話がありました。「この中学生がどんなに苦しくても、前向きに生きていきたい。友だちとの時間を一緒の宝物して、次の人生への第一歩を歩みたいと言っています。この中学生の言葉を聞き、今朝の皆さんの「おはよう」の一言や、今のみなさんの真剣な目を見て、今ここにいる全員で素晴らしい卒業式にしようと心に誓っています。そして、それぞれの学年、それぞれの場所でこれからもがんばりましょう。」と話した時に、「はい」と返事をしたり、大きくうなづいていたりしていた姿がありました。限られたことの中で、精一杯の卒業式をしていこうと思っています。